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モンティ・パイソン ノット・ザ・メシア(原題:''Monty Python Not The Messiah (He's a Very Naughty Boy)'' )〔原題の "" は、英語読みならば「メサイア」が正しい。〕は、モンティ・パイソンのメンバーエリック・アイドル演出の、コミック・オラトリオ(全5幕)である。 原作はパイソンズが1979年に制作した映画『ライフ・オブ・ブライアン』で、タイトルはブライアンの母・マンディの台詞に由来する。また、同じオラトリオであるヘンデルの『メサイア』に目配せをしたタイトルとなっている〔演出のアイドルやデュプレ自身が、メイキングで言及している。なおヘンデルは、ドイツで生まれ英国に帰化しており、パイソンズの出身である英国では、自国の作曲家として扱われている(実際に、ドイツ生活より英国生活の方が長い)。〕。 2007年6月に初演された後、パイソンズ40周年を記念して2009年にロイヤル・アルバート・ホールでの公演が行われた。この公演は録画され、ディスクとして発売されている。 == 概要 == モンティ・パイソンのメンバーエリック・アイドルは、パイソンズの映画第2作『ホーリー・グレイル』を原案にしたミュージカル『スパマロット』でトニー賞を得るなど、大成功を収めた。彼が次に目を付けたのが、映画第3作の『ライフ・オブ・ブライアン』である。 アイドルは新作でも、パイソンズの映画第4作『人生狂騒曲』や『スパマロット』の音楽を担当した作曲家と手を組むことを決めた。デュ・プレはアイドルの依頼を受け、3ヶ月でスコアを作曲し〔ロンドン公演のメイキングでデュ・プレ自身が言及。〕、『ライフ・オブ・ブライアン』を原案としたコミック・オラトリオとして本作が完成した。 ソプラノ・メゾソプラノ・テノール・バスと4人のソリストを揃えるのは、オラトリオを演奏する上で標準的なものである。 『ノット・ザ・メシア』は、2007年にトロントで開催されたルミナート・アーツ・フェスティバルで初演された。アイドルは初演に、「もし僕らのブライアンがマタイによるものだとしたら、この作品はヨハネによるものだ(まあね、それはジョン・レノンとジョン・デュ・プレのことだけどさ)。つまりこの作品は全然スケッチなんかじゃなくて、むしろレチタティーヴォと歌と、あと時々キャロル・サービス・リーダーってところだね」と寄せている。 使われる音楽のジャンルには大きな幅があり、アイドルはそれを「バロックンロール」()と称している。この作品は、ポップス、ウェールズの賛美歌、カントリーミュージックやウェスタンミュージック、ドゥーワップ、ヒップホップ、ブロードウェイ・ミュージカル、ギリシャの合唱、そしてボブ・ディランなどをごたまぜにしたものになっている。ヘンデルのオラトリオ『メサイア』にある、「ハレルヤコーラス」のように歌われる箇所もある。元々『ライフ・オブ・ブライアン』のために書き下ろされた曲"Always Look on the Bright Side of Life"は、最後に会場も一体となって歌われ、英国のでの慣習を映し出している。 この作品では、ロンドン公演のメイキングでアイドルが指摘する通り、ブライアン誕生前のストーリーが追加され、マンディの視点が映画版より強調される。映画版にはブライアン誕生前のシーンは無く〔ブライアンはナザレのイエスとほぼ同時に生まれた設定である。映画版では、イエス降臨を見逃す羊飼いたちの会話シーンが撮影されているが、尺の都合でカットされている(『ライフ・オブ・ブライアン』のディスクに未公開シーンとして収録)。〕、東方三博士がナザレのイエス(イエス・キリスト)と勘違いして、生まれたばかりのブライアンを訪問するシーンがあるのみである。またマンディがブライアンを身籠もるきっかけとなった百人隊長とのエピソードは、映画版では彼女の口から語られるだけだが、本作ではこれを歌で語ることにより、彼女の視点をより深めている。一方で、東方三博士のシーンやブライアンが追われるきっかけになったピラト総督の妻誘拐未遂、磔になるブライアンなど、映画版のいくつかのシーンは割愛されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「モンティ・パイソン ノット・ザ・メシア」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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